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七月はじめにジョンに手紙を書き、少し早めの誕生日プレゼントを贈った。
それは、ジョンの求めに応じた、いくらかの現金だった。
八月はじめ、私は二度目のプレゼントとしてジョンの出生証明書を送った。
私は何カ月も前から、出生証明書を送ることができるよう、すでにジョンから申請書への署名をもらっていた。
出生証明書は、ジョンが生まれた証としてジョンがもっているべき大切なものと思い続けてきたのだ。
いまだに彼はそれを壁に飾っていることを知っている。
ジョンが自分の人生の記録としてもっているのは、他にはヴァージニアのジエイシーキャンプの写真が数枚、同じくキャンプで作った手工晶、それにジョンのことを書いたマイク・ハドソンの新聞の切り抜きである。
出生証明書を送ってまもなく、ダイアンが電話をよこし、ジョンにはもうすぐ別のケースマネージャーがつくだろうと知らせてきた。
ダイアンは当時もう結婚していたのだが、特殊教育の学位をとるために学校に戻る決心をしたのだった。
しかし、ダイアンは、その後もジョンとの関係を維持し続けてくれるとともに、すばらしい友人であり続けてくれた。
ジョンもまたこのころ、キャンプで友だちを見つけた。
その証拠は一九九一年一一月に彼に書いた私の手紙のなかにある。
親愛なるジョンへ素敵な手紙をありがとう。
きみから手紙をもらうのは本当にうれしいよ。
フェアヴューでは、ことが順調に行っていると聞いてうれしい。
でも、きみが、たちの悪い風邪を引いたというのは残念だ。
いまごろはもうよくなっていると思うけれど。
ジエイシーキャンプではきみに会えてじつにうれしかった。
リンチバーク大学の学生たちもきみに会えて喜んでいたよ。
彼らから手紙でも来たかい?同封の五〇ドルは、煙草が欲しいときに使ってくれ。
そのときフィリス・ベスラー(注・フェアヴユーの職員)が手伝ってくれるよう、私が頼んでおくよ。
このお金は、ここリンチバーク大学の、「シグマ・ミュー・シグマ」というサークルの連中が出しあったものだよ。
きみはジエイシーキャンプで、そのサークルのなかのたくさんの友だちに会っているだろ。
ジム・ファーレルくんがお金を集めて、きょう持ってきたのさ。
こりゃすばらしいプレゼントだし、いかに彼らがきみを好きかがわかるだろくく。
来週もう一度手紙を書いて、クリスマスに会いに行く日を教えるから。
そのとき、ささやかなプレゼントを持っていく。
そしてマクドナルドで昼を食べよう。
どうかお体をお大事に、私の友よ。
二週間以内にきみに会いに行くつもりだよ。
敬具デイヴ一九九二年に南カロライナ州立大学に移ってから、私は定期的に手紙を書き、時どき電話で話した。
ジョンの生活は順調に運んでいるようだった。
フェアヴューは、ジョンがハンター夫妻とともに過ごした少年時代のあと出会ったもっともよい住み家であると確信した。
事実、いまでも私はフェアヴューが、いままでに私が訪ねたなかでもっとも快適な成人ホームであると信じている。
ダイアンが去ったあと、ジョンのケースマネージャーを引き継いだミッチ・ソルネも有能で配慮ある人であることを知った。
ミッチもジョンのことで私に手紙を書いてくれ、彼女がジョンを訪問したときのこと、ジョンのようすなどを知らせ続けてくれた。
ミッチの報告は慎重かつ、楽天的だった。
彼女は私に、盲になったことによってぶつかったできごとにジョンがどう暮藤し続けていたか、いくつか具体的に書いてよこした。
ダイアンも、ジョンができるかぎり自立して生きていけるようジョンを援助し続けているという。
明らかに手に余ったのだろう。
一九九三年二月に入り、ミッチから電話がきた。
その電話は私にとってつらかった。
ジョンはフェアヴューから出されたというのだ。
ジョンは再び自分の欲求不満をため込み、そのことへの怒りから、爆発させ、悪態、蹴り、他の利用者や職員にこぶ1を振り回すというような行動を始めた。
ケースワーカーのミッチは、ジョンが生活する場所を他に求めなければならないという通知を受けることになった。
ミッチは、ジョンを受け入れてくれるホームを見つけるため、ヴァージニアのいくつかの地域にある二五ものホームに電話をした。
彼女が電話したそれぞれのホームにおいて、施設長は、なぜ移らなければならないのかと聞き、ミッチがこれまでの成人ホームでのジョンのことを話すとみんな断ってきた。
ミッチはやっと、ひとつ見つけた。
その場所を私に知らせてきた。
そこはフェアヴューのような所ではなかった。
しかし、ミッチが見つけた唯一の場所だった。
ミッチは悩んでいた。
ミッチは失敗したと感じていたのだ。
私は、ミッチの責任ではない、ジョンが生きていく難しさは、社会との蔦藤が積み重なって起きているのだから、と話した。
ミッチがジョンのためにした骨折りは、たんなる勤務や仕事の類を超えたものだった。
その努力は賞賛されるべきものである。
ジョンが入った新しいホームを訪ねた。
貧しい人たち、年老いた人たち、そして社会で傷ついたたくさんの人たちがいた。
この大きな収容施設は、社会の「るつぼ」だった。
私はまたもや新たな「煉獄の日々」に出あうことになった。
ホームの指示に従って自分の車を駐車場の訪問者スペースに乗り入れた。
建物は外側からは魅力的だったし、正面のドアが開かれると立派な受付エリアが広がっていた。
受付カウンターには誰もいなかった。
見事に飾られた部屋を通り過ぎて私は中央ホールに進み、ジョンを見つけるのを手伝ってくれる人を捜した。
明るい食堂に来るまで私は誰も見かけなかった。
職員のひとりが急いで駆け寄ってきて、「何かご用でしょうか~」とたずねかけてきた。
私は、ジョン・ラヴレースに会いに来たと話した。
彼女は一瞬、戸惑ったように見えた。
そして、言った。
「いま、彼はここにいません。
丘の上にいるでしょう」と。
彼女は私をドアのところに連れて行き、もうひとつの、もっと大きな建物を指した。
私は彼女にジョンがこの建物で暮らしているのではないのか、確認のため名簿をみせて欲しいと頼むと、「ここには四五名しかおらず、名簿を見せる必要もない。
全員の名前を把握している」と言った。
そして、「ここは支払い可能な人たちの看護ホームです」と説明した。
「丘の上の方が、もうひとつの成人ホームです。
同じ名前ですが、そこにはお金を払えない人たちがいます」。
そして、「一六〇名の人たちがいる」と話した。
丘の上の建物まで歩いていった。
付き添った彼女は、どうしたら鍵のかかっていないドアを見つけられるかを詳しく話してくれた。
そして、「ここじゃあ、あまり訪問者はいないんですよ」と言った。
私がそのドアを開けると、煙草の煙と、尿と消毒の匂いに圧倒された。
見知らぬ者の登場に職員が、びっくりした顔をしたので、私も驚いた。
ある種の戸惑いのあと、その施設の制服のようなものを着たひとりの女性にジョンの部屋に案内された。
制服は、ポリエステルのズボンと上着、そして白いシューズ、それは今日、「ノーマライズされた」州立の施設ではめったに見られないものだった(注・本章コラム「ノーマライゼーション」参輿)。
最初にジョンを見たとき、ジョンは両手で頭をかかえながら、ベッドの端に腰掛けていた。
同じ部屋で暮らす人たちのなかのひとりは、よく自閉的な人たちがやるようにベッドの上で体を揺り動かしながら座っていた。
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